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バックナンバー5   “東洋の神秘”が最後に舞った暁の闇。   マタ・ハリ

■新しい自分を求めて、パリへ。
 「ファム・ファタル」、運命の女性、魔性の女という言葉がある。妖しい魅力で男を翻弄し、破滅させてしまう女性を意味していますが、美貌の女スパイ、マタ・ハリもまた、その1人に数えられています。20世紀初頭、肌を露出するエキゾチックな舞踊で絶大な人気を博し、多くの男性遍歴を重ね、最後はフランスの国家機密をドイツに売り渡したとして処刑された経緯から考えれば、確かにそう呼ばれるはずです。しかし、見方を変えて、男性をしのぐ能力と強い意志を持った、真に自立した女性、それゆえにかかわった男性の運命を左右してしまう。それが「ファン・ファタル」だと考えてみると、いままで語られてきたマタ・ハリ像とは異なる姿が見えてくるのではないか。そう考えて、マタ・ハリの波乱の人生をたどってみました。
 マタ・ハリこと、マルガレータ・ゼレ・マクラウドは、オランダ北部の小都市レワールデン生まれ。輝くような小麦色の肌と黒々とした髪、そしてエギゾチックな瞳を持つ、空想好きの少女でした。生家は帽子屋を営む裕福な家でしたが、父の事業の失敗と母の死で運命が一転。この身上の激変が思春期の少女にとって、大きな影を落としたのでしょう。彼女は結婚相手を募集する新聞広告に応募して、19歳で11歳年長のレオド大尉と結婚。
 しかし結婚生活は7年で終結。幼い娘を夫に残して、マルガレータは新しい人生を夢見て、パリへ旅立ちました。




美貌のダンサー、マタ・ハリの誕生。
 芸術と文化が香る、ベルエポックのパリへ出てきたものの、特技も職業体験もないマルガレータにとって、パリは冷酷な都でした。思い余った彼女は曲馬団の門を叩き、そこで夫の赴任先ジャワで見よう見まねで覚えた踊りを披露。「きみは舞踊をやるべきだ。パリはそういうものを求めている」という興行師の言葉に、自ら進むべき道を直感したのです。
 彼女の踊りを高く買った、実業家エミール・ギメがつけた芸名が、インドネシア語で太陽や暁の光を意味する「マタ・ハリ」。一世を風靡する舞踊家マタ・ハリの誕生でした。
 人生に光と影の時期があるならば、ここからの10年近くは、マタ・ハリことマルガレターにとって、人生に燦燦と光が注いだ、まさに絶頂期でした。
 東洋的な美貌に、きらびやかなインドネシア風の髪飾りやイヤリングを着け、衣装はブラジャーのみ、その下は何も着けないか、あるいは薄布を腰に巻いたとしても踊りながら脱いでしまうというスタイル。ジャワの踊りに彼女独特の振り付を加えた、ヌードに近い官能的な踊りは、パリをはじめヨーロッパ中にセンセーションを巻き起こしました。「東洋の神秘」「至宝の芸術家」「インド舞踊をこれだけ深く表現したものはない」と賞賛の声は高く、作曲家のプッチーニやマスネなど著名人もこぞってファンに名乗りを上げました。高尚な芸術か胡散臭い見世物か、と評価が分かれたものの、熱狂的なマタ・ハリ人気はとどまるところを知らず。それとともに「私はインドの娘」「マハラジャの招待で、象に乗ってトラ退治をした」「アメリカや日本へも旅をした」と子供の頃から空想癖が頭をもたげて、彼女は出生や経歴を勝手に作り変え、マタ・ハリという新しい自分像を作り上げていきました。




「私は無実です」。
 そうしたマタ・ハリの栄光に陰りが見えたのは1914年。ヨーロッパを二分する第一次世界大戦の不穏な空気が町を覆い、人々に官能のダンスを楽しむ余裕は消えうせていました。そうした時代の変動にもかかわらず、マタ・ハリは舞台への再起を願いながら、政府や軍の高官と親密な関係を持ち、贅沢三昧の生活を続けていました。そして1915年の暮れ頃、ドイツの情報部のスパイとなったとされています。
 なぜ彼女がスパイになったのか、しかし第2の故国と言ってははばからないフランスではなく、敵側のドイツの。一説によれば、開戦当時彼女はベルリンにいて、ドイツの政治家や軍人と親しかったからといわれ、報奨金ほしさというより、むしろ以前のように舞台で踊りたいという熱望から。あるいは生来の強い好奇心にかられて、まるで舞台で演技しているような気持ちでこの仕事に就いた、というのが真のいきさつのように思えます。そして、「間謀H21」というコードネーム持つドイツのスパイとして、滞在先のパリのホテルで逮捕。
 「私はこの国を祖国のように思っています。フランスで私は栄光と愛と、あらゆる種類の満足を得たのですから」「私は無実です。私が皆さんの国にかけている愛情と忠誠心の名において、私はこの恐ろしい世情の生贄の山羊になさらないようお願いいたします」。無実を訴えた悲痛な声は届かず、結局、スパイ行為および諜報活動の罪で死刑を宣告されたのでした。そして1917年10月15日早朝、パリ郊外ヴァンセンヌの森に程近いカポニールで処刑。12人の銃殺隊を前に、彼女は杭に縛り付ける縄と目隠し用の赤い布を拒否し、敢然として、マタ・ハリ、つまり暁の光の中に崩れ落ちました。
 「この女性が為した悪事は信じがたい。おそらく今世紀最大の女スパイであろう」という検察官アンドレ・モルネの言葉がある一方で、彼女は本当に死刑に値するスパイだったのか、彼女が叫んだように、戦死者の数をフランス国民の目から逸らすためのスケープゴートではなかったのか、という疑問も強く残されています。
 踊りという自分の可能性を追及するあまり、国家機密に手を染めてしまったマタ・ハリ。その激しいまでの上昇志向、野心は、戦争という国家間のはるかに巨大な野心によって、巧妙にすり替えられてしまった。そう考えることもできます。空想好きの少女が自分探しの最後にたどり着いた場所。それは想像しえなかった深い深い闇ではなかったでしょうか。




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