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バックナンバー9
愛に生きるか。芸術が生きるか。“美神”が求め続けた真実。 -アルマ・マーラー
1964年12月ニューヨーク、アルマ・マーラは故郷ウイーンから遠く離れたこの街で人生を閉じた。その85年の生涯は華やかな、しかし波乱に満ちた物語に満ちています。『大地の歌』や『交響曲』で知られる大作曲家グスタフ・マーラー、ドイツの芸術運動の発祥の地となった造型学校「バウハウス」の創立者で建築家ヴァルダー・グロピウス、、作家・詩人フランツ・ヴェルフェルらとの三度の結婚、さらにウィーンを代表する画家クリムト、ココシュカ、神学者ホーレンシュタイナーらとの恋愛、しかも相手がすべて音楽、文学、建築、絵画の各分野を代表する著名な人々であるため、ポーカーゲームでエースのフォア・カードを揃えたような見事さと評されました。アルマのどこがこれほどまでに彼らを魅き付けたのでしょうか。それは類い希な美貌、旺盛な知識欲に裏付けられた才気煥発さ、それに加えてたちどころに相手の才能を見抜くある種の直観力があげられます。しかし多彩な愛の遍歴を紐解いていくと、美の女神と崇められ、称えられた中にあって、芸術家の妻ではなく、ひとりの芸術家として自分らしく人生を生きたいと願う彼女の強烈な意志と心の葛藤が立ちのぼってきます。
アルマがウィーン宮廷オペラ劇場の監督であり指揮者でもあったマーラと結婚したのは1902年。マーラ41歳、アルマ22歳の時でした。有名な風景画家エミール・シントラーを父に、歌手だったアンナを母に生まれた彼女は、恵まれ た環境の中で少女時代を送り、特に父からは「神様たちと遊びなさい」と言われ、一流の芸術家たちの薫陶を受けて育ちました。それがニーチェ、プラトンを読み、原書で経典をたどり、20歳にして百曲以上の歌曲を作曲するほどの才能を開花させました。しかし13歳で父を亡くしたことが一種のトラウマとなり、それが数多くの求婚者の中で父親ほど年の離れたマーラに向かわせたと言われています。マーラの音楽をよく理解できない戸惑いは、彼からの熱烈なラブレター攻勢の下に降伏して結婚してしまう。「君には以後、たった一つの仕事しかありません。私を幸福にすることです。・・・君の役は愛らしい伴侶、理解ある同志です。」甘く響いたこの言葉は結婚後、マーらの名声が高まり、娘が生まれても、逆にアルマの枷となっていきます。マーらが家で彼女の歌曲を演奏することはあっても、それは彼女の機嫌をとるためだけの目的でした。「翼を切られたような感じだ。グスタフ、どうしてあなたは飛ぶのが幸せな鳥と結ばれたの。重くて灰色の鳥の方があなたにふさわしいのに」「今ギリシャ語を習っている。でも神様、いったい私の目的はどこにあるのでしょう」。彼女の悲痛な叫びは新たな恋へ向かわせます。湯治先でアルマは27歳の建築家グロピウスに出会い、たちまち二人は激しい恋に落ちます。このことに大きな衝撃を受けたマーラは精神分析学者フロイトの診察を受けたりしますが、結局二人の気持ちを変えられないまま病を得て、失意のうちに51歳で他界します。
マーラの死後、グロピウスとアマルはある期間をおいて結ばれますが、すでに以前の熱情は去り、その間隙を縫って登場したのは画家ココシュカでした。彼もまたアルマの虜となり、知り合ってから24時間しかたたないうちに「私の妻になるという犠牲を払ってください」と言ってのけます。彼らの愛人関係は2年余りの短いものでしたが。ココシュカの創作力を刺激し、彼の最高傑作『風の花嫁』に結実しています。絵に描かれているのは嵐の中で小船に横たわるカップル。それは明らかにアルマとココシュカをモデルに、愛の激しさを表現していると言われています。アルマは50歳で最後の伴侶となった作家ヴェルフェルと結婚。彼がユダヤ人であったため、オーストリアがドイツに併合されたことによりアメリカに亡命しますが、70歳の誕生日にココシュカからこんな電報が届けられます。「愛しいアルマ、僕たちは僕の『風の花嫁』の中で永遠に結ばれているのです」。 多くの芸術家の心を奪い、「アルマ・マーラと会うたびに、仕事へのエネルギーが湧いてくる」と賛美された美神アルマ。彼女の名前はラテン語で養い育てる、あるいは愛するの意味。彼女はまさにそのままの人生をたどったと言えるでしょう。しかし、一方で「飛ぶのが幸せな鳥」アルマがウィーンからニューヨークへ長い飛行の末につかんだもの、それは果たして彼女が真に求め続けた、自分自身を生きることだったのでしょうか。写真の中のアルマはただ美しく微笑むばかりです。
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