

バックナンバー12
「運命が命じた」愛と芸術に捧げた生涯。 -コジマ・ワーグナー
毎夏、世界中のオペラ・ファンでにぎわう南ドイツのバイロイト音楽祭。山間の小さな街がオペラの殿堂となったのは、今から123年前、その創始者はドイツの大作曲家、リヒヤルト・ワーグナーでした。そして、彼とともに夢の実現に奔走し、第一次大戦による閉鎖や経済的な困窮を乗り切り、彼の死後は自ら舞台演出も手掛けて、生涯をかけてワーグナーの遺産、バイロイトを守り続けたのが、妻コジマでした。ワーグナーは「あの建物の石の一つひとつが、僕の血と、君の血とで赤く染まっている」と書き遺しています。彼女をそこまで駆り立てたもの、それは夫、ワーグナーとの運命の出会いに導かれた愛と、彼の夢と意志を自分のものとする強い使命感に外なりません。
コジマがワーグナーと初めて出会ったのはまだ10代半ば、文学を愛する、美しいブロンドの少女の頃。ワーグナーは40歳近く、すでに『さまよえるオランダ人』や『タンホイザー』『ローエングリン』などの名作を発表し、ドイツを代表する作曲家としての名声を得ていました。私生活ではミンナという妻を持つ身でした。そんな2人が出会うきっかけになったのは、コジマの父、ピアニストで『ハンガリー狂詩曲』の作曲者であるフランツ・リストでした。コジマはリストとフランスの貴族、マリー・フラヴィニーの次女として、1837年12月24日に誕生。20歳で、リストの弟子、7歳年上の指揮者、ピアニストのハンス・ビューローと結婚しました。しかし、その結婚生活は新婚旅行からワーグナーとかかわり、その後も密な交際が続き、次第に単なる音楽界の親交を越えて、激しい浪費癖と恋愛遍歴を重ねる天才肌の作曲家と、有名指揮者を夫に持つ、感受性豊かな女性との、音楽史上に名高い大恋愛へと進んでいきます。
「1868年という年が私の生存に一線を画した。この年に私は、5年越しに思いつめていたことを行動に移すことが許されたのだ。その行動は求めたのでもないし、計画したわけでもなかった。運命が私に命令したのだ」。69年から書き始められたコジマの日記の目頭に記されているように、彼女はついにワーグナーのもとへ出奔。数多くの困難や世間の非難を乗り越えて、70年、結婚という形で結実します。この時ワーグナーは57歳、コジマは32歳、すでにワー
グナーとの間には三児がいました。なぜコジマが父親ほど年の離れたワーグナーにこれまで心奪われたのか。その理由のひとつには、同居と別居を繰り返す両親のもとで孤独な子供時代を送ったことがあげられると思います。その中で感じていた父親を求める強い思いが、同じ天才音楽家としてのワーグナーに向けられた。また、ローエングリンやジークフリートなど彼の作品に登場する英雄たちのイメージをワーグナー自身に重ねていたのかもしれません。
この年のコジマの誕生日の翌日、ワーグナーの愛情を如実に表し、彼女の存在を音楽史上でも不滅にした作品が誕生しました。早朝、彼女の寝室に通じる階段には、楽器を手にした演奏者が並び、ワーグナーが指揮棒を振ると、美しい旋律が家中を満たし、コジマの耳元にも届きました。のちに『ジークフリート牧歌』と呼ばれる作品、これがワーグナーからコジマヘの愛の賛歌でした。
結婚後、コジマは以前にもましてワーグナーを献身的に支えました。ワーグナーあての手紙を開封して返事を示唆し、彼の友人関係にも介入。ワーグナーの最大の崇拝者であり、援助者であったルートヴィヒ二世との間を取り持ち、国王を喜ばせるために、ワーグナーの初期の作品や評論を集めた「ワーグナー文庫」の制作を強行するなど、ワーグナーを思うゆえの行動がしばしば周囲に波紋や摩擦を起こすこともいといませんでした。
困難を乗り越えて愛を成就し、その後も夫の創作欲に活力を与え続ける理想の伴侶。それがコジマの人生の第一楽章であるとすれば、第二楽章は“変身するコジマ”がテーマになるでしょう。完成まで20数年を要した『ニーベルングの指輪』四部作が完成。バイロイト祝祭劇場の完成。そして最後の楽劇『パルジファル』の初演を見届けて、ワーグナーが70歳で他界。だれもが再起不能と確信したコジマは絶望の渕から立ち上がりました。「ワーグナーの遺産である子供達とバイロイト音楽祭の存続のために。そしてドイツ芸術の救済のために」。その時からコジマの第二の人生がはじまったのです。彼女はバイロイトの運営の一切を取り仕切り、舞台演出も手掛けました。それは20年間に渡って続けられ、愛児ジークフリートを一人前と認めた時にその仕事を譲り渡しました。 ワーグナーとの生活では彼の崇拝者であり理解者。そしてワーグナー亡き後は自ら演出家として彼の遺志を後世につなぐ。その原動力になったものはワーグナーヘの愛と献身という言葉に凝縮されますが、もしかしたら子供のころから文学に親しみ、音楽に対しても鋭敏な感覚を示した彼女の才能が、好機を得て、いきいきと自由に羽ばたいたといえるかもしれません。1930年コジマは90歳で永眠します。ワーグナー、リスト、ルートヴィヒ二世、ニーチェ・・・当代一流の人々が織り成す希有な人生の最後に彼女が遺した言葉は、「神のお望みのままに。すばらしい」でした。
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