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バックナンバー15  真のエリザベートの生涯−エリザベート     


 スペインの闘牛場に一本のポールが立っている。西へ大きく傾いた太陽がポールに当たって、長い影を作る、陰影半ばする時刻。その時を待って、ファンファーレが高らかに響き渡る。それを合図に、生死を賭けた闘いが始まります。光が強烈であればあるほど、陰影も深くなる。言い換えれば、死闘が壮絶であるほど、皮肉なことに、歓喜と陶酔感は高まるのです。

 スペイン語で「SOL Y SOMBRA」、光と影という言葉が持つ真理は、ひとの生に限らず、芸術、文化、さらに森羅万象すべてに通じるものです。秋の彼岸ごろに赤く咲き立つヒガンバナ。この花は、美しい地上での姿とは裏腹に、地下の球根は毒を含み、周囲に草花の成長を妨げる物質を出すという。このように、美しい花にも光と影があり、私たちはなぜか影に隠された邪悪や悲劇に魅かれる。そしてそれゆえに、さらに光の部分の美しさを愛するのです。
 私の手元に、美しい貴婦人の写真があります。彼女の名はヨーロッパ随一の名家ハプスブルク家の皇妃エリザベート。ヨーロッパ一と称えられた美貌の人を眺めるたびに、彼女の生涯を覆った影の部分の深さを考えずにはいられません。

 エリザベートは、1837年ドイツ・バイエルン王国の公爵家に生まれました。シシィという愛称で呼ばれた彼女は、豊かな自然の中でのびやかに育ち、17歳でハプスブルク家の皇帝フランツ・ヨーゼフに見初められて結婚。そこからエリザベートの悲劇が始まりました。束縛の多い、閉塞的な宮廷生活、太后妃ゾフィとの激しい確執から逃れるように、旅に明け暮れるようになったエリザベート。孤独と絶望の放浪の身に追い打ちをかけるように、最愛の息子ルドルフの心中死、幼なじみルードヴィヒ二世の水死、妹ソフィーの焼死と、立て続けに訪れる不幸。その中にあって、彼女は自らの美しさを保つために、厳しいダイエットを自分に課し、美貌とプロポーションを維持していたといいます。死の悲劇からエリザベートを支えていたものは、肉体へのあくなき固執でした。そして1897年、旅先のジュネーブで無政府主義者によって非業の死を遂げました。

 そしてあまりに悲劇的な生涯を前に、私の心を激しく震わせたのは、そのドラスティックな運命ではなく、厳しい生も暗い死もともに受け入れ、運命に敢然と立ち向かっていくエリザベートの意志の力でした。マーラーの『大地の歌』にある“死は暗い、生も暗い”の一節とも重なるように、彼女の生も死もともに闇である。しかし、その現実を認識した上で、決してそれから逃避しなかった。苛酷なまでに美を追求し、放浪の中で自分の内面を鎮め、負を生に転換する力を養っていったのです。これを女性の生き方という視点で考えてみると、決してエリザベートだけではなく、西欧の女性に共通する人生観ではないかと思います。彼女たちは、得るものが大きければ、リスクが大きくてもそれに賭ける。それに対して、日本の女性の場合はどうだろうか。私には、敢えてリスクを犯さない、長いものには巻かれろ式の諦観思想があると思います。石の文化の西欧に対して、木と紙の文化の日本。人生観や価値観の違いは、根本的な歴史や文化の違いから来ているのかもしれません。

 エリザベートの死から18年、フランツ・ヨーゼフ皇帝の死によって、700年にわたるハプスブルク家の歴史は、事実上、幕を閉じました。その最後の興亡の中にあって、“死は暗い、生も暗い”を受け入れ、自分の生を貫いたエリザベート。美しい微笑とその奥に横たわる闇の深さが、いつまでも私をとらえてはなさないのです。




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